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■私学の安全対策について〜その1


東京都内


  世田谷区・目黒区・品川区・町田市

アンケート質問項目
@当日の対応
A翌日からの対応・連絡
B保護者を最も安心させた対応
C安全対策について

■ 国本小学校
@状況が落ち着いた所で全員体育館に集め保護者の迎えを待った。時間をみて宿泊の体制に移行。災害用備蓄の水や毛布や食べ物などを配る。午前1時頃小田急線が動き出したが、最終的な宿泊者は小・中・高校生を合わせて50名、父母10名、教職員40名程度であった。朝教員が炊き出しをし、おにぎりや味噌汁をふるまった。朝、歯ブラシ配布した。その間、宿泊者の家庭への連絡と各家庭に無事の確認をした。
 下校途中の生徒について、小学生は1・2年は下校後40分以上が経過していたので、後の確認で全員が家に着いている事がわかった。3年生以上は学校にいた。

A電話連絡網にて行事の中止と登校の指示待ちをお願いした。結果的には1/2成人式、金管クラブのコンサート、スキースクールを中止した。登校は4月の始業式までお預けとし、成績表もその日に渡す事とした。卒業式だけは卒業生とその家族のみの参加で実施した。

B宿泊者児童に対して不安を感じさせないように教員が本を読んで聞かせたり、ゲームをする等した心遣いに大変感謝されていました。また、食事などが温かいものであった事に感謝されていました。
 また、最寄りの駅で途方に暮れている他校の生徒を学校に連れてきて宿泊させた事に関係者から大変感謝されました。
 まめな連絡と情報集めに感謝がありました。

C
・「緊急地震速報」を導入済みで、活用しています。
・23年度より「一斉メール配信」「学校携帯メールでお知らせの掲示のシステム」「児童の登下校の状況配信システム」を導入します。
・緊急時連絡の為用に携帯電話を登校時に持って来ることを、担任が許可を与えている。
・集団下校・引き取り訓練を積み重ねている。
・最寄りの駅までの徒歩所要時間が僅かに2分である。


■ 昭和女子大学附属昭和小学校
@地震緊急通報装置が作動し、30秒前から激しい揺れに対するとりあえずの対処ができた。大きな揺れが収まった時点で、放送などにより大グラウンドの中央へ一旦避難させた。
 学校にいた保護者も含め人数確認と名簿の作成を行い、駅などから学校へ戻ってきた児童の掌握にも対処した。小学校校舎の安全を確認した後、学年、学級に応じて教室を指定して緊急の避難所とした。児童に、各家庭に連絡を入れているので安心するように伝えるとともに、近くのパン屋とスーパーから食料を購入し、確保した。学校で保護している児童の家庭には、安否を伝えるとともに可能な範囲で迎えを依頼し、不可能な場合は学校で宿泊させることを確認した。(備蓄のシュラフとマットで宿泊)

 下校途上の児童のために、最寄り駅に教員が向かい、残存児童を学校へ戻すと同時に、全家庭と連絡を取り、所在が確認できていない児童を特定した。該当の家庭からは安全が確認できた時点で学校に連絡を入れてもらった。
※最終的に校内に宿泊した者:児童27名、保護者12名、教員15名

A地震の翌日(12日)、宿泊の児童と保護者は午前中に帰宅完了。同日に、14日(月)1〜5年生は臨時休校する旨を各家庭にメール配信。その後、原発事故発生を受け、6年生も休校を決定し家庭に連絡。この処置により計画停電初日の交通混乱から児童を守ることが出来た。
 14日(月)、学校から連絡があるまで全校自宅待機の旨、メール配信。
 15日(火)、18日までの臨時休校を決定し、家庭に周知するとともに、家庭での児童の様子についてアンケートを実施。
 18日、計画停電の影響を最小限に出来る時程で次第や参加人数を変更し、21日に卒業式を挙行することを決定。23日に予定されていた修了式も予定を大幅に変更し、保護者とともに登・下校することで実施することもあわせて決定し、全校家庭にメールで連絡。
※21日、23日とも地震による退避などで登校しなかった場合は欠席とはしない。(年度末なので持ち帰り荷物については、春期休業中、学校で預かる処置)

B地震発生当日、児童の安否情報を家庭に伝達できたこと、学校としての対処の方向を早い時点で家庭に伝えられたことは保護者の方に学校を信頼していただけたのではないかと思う。また、(当たり前だが)帰宅困難になった児童を学校で一晩お預かりできたこと、多くの保護者の方から感謝の言葉をいただいた。

C本校は都心部と周辺の住宅地区との間にあり、非常時の下校が比較的しやすい立地にあります。児童一人一人が防災頭巾・宿泊用シュラフ・2食分の非常食を常備し、(今回、初めて役に立ちました)、緊急時の炊き出し用アルファ米、釜なども小学校として独自に常備しています。地震については、既に緊急地震通報装置を独自に設置し、今回の震災では激震の30秒前から放送で全校に予告することができました。各家庭との情報伝達も、サーバーを2系統持つ信頼性の高いメール配信システムを使っています。今後は、床敷用のマットやタオルの備蓄、停電に備えた非常用発電システム、タンクを利用した緊急水源の確保など今回の震災を教訓に、なお一層安全確保に努めてまいります。

■ 聖ドミニコ学園小学校
@地震発生の14時46分、3〜6年生はちょうど6時間目が終わって終礼を行っているところでした。殆どの児童が担任とともに教室にいたことは幸いでした。訓練通り、揺れと同時に机の下に潜り、収まるのを待ちました。
 交通機関が止まったというニュースを受けて下校待機が決まり、それぞれ教室で担任の先生と過ごしました。専科教員は校内を巡回し、児童の無事と校舎の安全を確認しました。
 強い揺れに涙した子もいましたが、教員のゆったりと落ち着いた対応と言葉がけで、パニックは起こりませんでした。おかげで子どもたちから「今日は先生がお母さんだね」と話してくれるなど、和やかな雰囲気になりました。
 全校向けに一斉配信システムで下校待機の連絡をし、お迎えをお願いしました。

 1〜2年生にとっては、下校スクールバスを降りた直後のことでした。用賀・上野毛・成城学園前の各駅に教師が急行しました。
 用賀駅方面では、まだ電車に乗っていない子はガードマンと一緒に駅ビルの安全な場所に避難した後、迎えのスクールバスで学校に戻りました。すでに電車に乗っていて緊急停止した車内に残された子もいましたが、居合わせた卒業生が二子玉川駅で声をかけ、学校まで一緒に徒歩で戻りました。(この子どもたちは元気よく「ただいま!」と言って校舎に入ってきました。
 上野毛方面では、すでに車内にいた子どもたちは、迎えに来ていた保護者の機転で、十数名が一緒に尾山台小学校に一時避難しました。体育館で待たせていただき、迎えのスクールバスで学校に戻りました。改札で戸惑っていた子どもたちを、近くに住む前教頭がすぐに保護しました。
 成城方面では、同じく迎えに来ていた保護者の機転で、カトリック成城教会に一時避難した後、迎えのスクールバスで学校に戻りました。
 どの方面も、2年生が1年生の手本となり、しっかりと守りました。日ごろから交通委員として下級生の面倒を見ている縦割り活動が、低学年バスでも生かされました。

 聖ドミニコ学園では毎年1回、緊急時児童引取訓練を行っています。東海大地震の恐れがあるとして地震予知連絡会(内閣府)の招集が報道された場合、鉄道の運行や道路が大幅に規制される以前に、学校からの連絡がなくても問い合わせすることなく園児・児童を保護者が迎えに来る、というものです。校内では下校準備を始め、保護者はすぐに迎えに出る訓練をしてきました。
 緊急一斉配信システムを導入してからは、お迎えをお願いする連絡を訓練ごとに配信していますが、原則は変わりません。

 ほどなくして保護者の迎えが始まり、訓練の通りに昇降口と各教室で名簿に記入しながら確認をして、児童を引き取っていただきました。学校周辺は穏やかでしたが、鉄道が動かず、幹線道路が大渋滞していたため、保護者の皆さんは大変だったことでしょう。学校では24時間対応でお迎えを受け付けました。
回線輻輳のために一斉配信が届かない場面があったことから、小学校・中高それぞれに、配信内容を学園HPに掲載しました。

 17時過ぎ、倉庫からペットボトルと乾パン、毛布が運び出され、各所に配給されました。19時過ぎには、給食室の厨房で備蓄米を用いた炊き出しが行われ、温かい食事を取ることができました。また、卒業生による鶏の唐揚げなどの差し入れもあり、ありがたいことでした。
 食後は宿泊の準備を進めました。制服から体操服に着替え、アルミパックの毛布を開いて、絨毯敷きの図書室、床暖房の多目的室に分かれての宿泊になりました。
 小学生から高校生まで、宿泊したのは約130名。教職員は95%が宿泊し、夜通し交代でお迎えの対応にあたりました。翌朝も炊き出しが行われ、午前10時過ぎに全ての児童生徒の引き取りが終わりました。

A児童引き渡しが完了し、落ち着いてから改めて校舎内外の点検を行いました。屋上の一部で金具が取れていた他には被害はないことが確認されました。
 13日(日)午後に協議を行い、余震の可能性や交通機関の混乱などの懸念から、小学校は14・15の両日を休校とし、13日夕方に一斉配信システムで各ご家庭に連絡をしました。
 その後、計画停電や鉄道各社の運行本数削減などのニュースがあり、安定した学校生活が望めないと判断、修了式まで全て休校とし、卒業式のみ予定した18日に行うこととしました。
 通常の3学期からそのまま春休みに入ってしまったため、子どもたちの荷物などを片付けるなど、新学期に向けての準備はできませんでした。しかしながら、登校日を設けるには懸念される点が多いことから、思い切って4月始業式に旧クラスから新クラスへの引っ越し作業を行うこととしました。
 地震当日から春休みまでの経緯を説明し、以後の予定をお伝えするには一斉配信システムは不向きなので、プリントを用意して全家庭に郵送しました。併せて、スクールカウンセラーが「自然災害が起きた時の心のケア」について保護者に伝えるプリントを同封しました。

B地震当日、各方面で子どもたちを一時避難場所に守り導いた保護者の機転と連携に心から感謝しています。すぐに教職員が現場に急行したことや、いったん下車させたスクールバスがもう一度一時避難場所まで迎えに行ったことなどに、感謝の声が寄せられました。また、残留宿泊時に給食室の炊き出しがあったこと、卒業生による差し入れが行われたことなどにも感謝の声が寄せられました。
 郵送されたプリントを読み、すぐにメールで安堵の気持ちを伝えて下さったご家庭もありました。特に、カウンセラーからの「心のケア」助言プリントはすぐに役立ったと好評でした。

C阪神大震災を契機として学園では校舎を建て替え、2001年に竣工しました。すべての施設が滞りなく稼働できたことは安心でした。いつでも最寄り駅まで迎えに出ることのできるスクールバス、いつでも炊き出しが可能な厨房がある給食室が心強い存在です。
 そして今回、子どもたちを守るのは、システムではなく「人」なのだと改めて思いました。そこにいるすべての子どもたちをわが子同様に守ってくださった保護者の方、級友を引き受けて安全に送り届けてくださった保護者の方。見知らぬ駅で戸惑う子どもたちに声を掛け、学校まで送ってくれた卒業生。温かい食事をと差し入れてくれた卒業生。担当の有無にかかわらず進んで現場に急行する教員。最後の一人が引き取られるまでともに過ごしてくれたバス運転手や給食スタッフをはじめとする職員。正門で夜通し対応してくれた守衛さん。
 このほかに、後援会(一般でいうPTAにあたる)の役員が「お手伝いすることはありませんか」とお電話くださったり、「近くを通りかかったので」と言いながら作業を手伝ってくださったり、「皆さん大丈夫ですか」と会長が来てくださったりしました。
 お迎えに来た保護者が開口一番、「学校で待機するという知らせに、それなら大丈夫と安心しました」とお話しくださったときの笑顔、駅から「ただいま!」と言って帰ってきた子どもの朗らかな声が心に残りました。
 相手を大切にするために自分を生かし、祈りとともに具体的な行動に移せる「ドミニコファミリー」そのものが、最も強く温かい「安全対策」なのでしょう。



■ 東京都市大学付属小学校
@
ア:3月11日は年度末短縮授業であったため、午後2時にはほとんどの児童が下校していました。
イ:校内残留児童は、卒業式表彰等の6年生や所用で残っていた4年生数名だけでした。
ウ:地震発生とともに教頭の指示で、教員誘導で児童を校庭に集合させ、安全確認の後、アリーナ(体育館)へ移動させました。
エ:その後、下校途上の児童が二子玉川駅と成城学園前駅のホーム等にいると推測されたので、教員が分担して、それぞれ出向き(成城学園前駅からは連絡もいただきました)、実際にそこにいた児童を学校へ退避させました。
オ:イとエの児童を合わせて20名だけでした。
カ:その20名については、学校ホームページに学年氏名掲載するとともに(後に全削除)、できるだけ、校内退避残留児童の家庭と連絡をとり、保護者引き取りをお願いしました。(HP掲載にあたっては、非常事態ですので、個人情報といえども出席番号等の暗号掲載はしませんでした。出席番号を覚えていない家庭が多いと判断からです。引き取り後全削除。)
キ:交通事情等で引き取りに来れず、その夜、校内に宿泊することになった児童は9名でした。
ク:宿泊は9名でしたが、全教職員、校内宿泊で児童対応しました。(但し、家庭に幼児や小学生がいる教職員、要介護のお年寄りのいる教職員は帰しました)
ケ:児童と宿泊教員合わせて30名ほどですので、乾パン等の非常食ではなく、おにぎりやカップ麺等で児童をねぎらおうと考え、コンビニやスーパーに買い出しに行き、翌朝の分まで確保しました。
コ:近所に住む学校評議員さんが退避児童のことを心配してくださり、差し入れて下さいました。
サ:隣接の都市大付属中高食堂による炊き出し提案の申し出がありました。(同校は生徒100名ほど宿泊)。結果的には本校対応分で間に合ったので利用しなかったのですが、グループ力による申し出ということで、大変心強かったです。
シ:児童9名は食後、一階教室にマットを敷き、非常用毛布を出して、教員付添で睡眠をとりました。
ス:余震等を考え、教員が交替で起きたまま廊下巡回しました。
セ:宿泊児童は、翌日午前9時までに保護者引き取りが完了致しました。
ソ:教職員は、児童引き取り完了後、校舎点検をしてから退勤しました。

※なお、校長は地震発生時、都市大学で会議出席中でしたが、ただちに会議を中断し、携帯メールや固定電話などで教頭、事務長と連絡をとり、指揮・状況確認に当たり、その後、学校に戻り、児童と共に学校に宿泊しました。

下校途上の児童に対しては
ア:前項「エ」のように最寄り駅にいる児童は教職員が迎えに行き、学校退避措置をとりました。
イ:銀行や店舗から、本校児童を預かっているというありがたい連絡が数件入りました。それらの児童家庭と連絡をとり、保護者に引き取りに行ってもらいました。
ウ:今後の教訓を得るために、下校途上、もしくは既に帰宅在宅児童の状況について把握するために、「地震対応アンケート」をとり、現在集計中です。

A
1.大きな余震可能性や鉄道等交通事情を考え、月曜日を臨時休校としました。
2.月曜日、教職員を集めて、火曜日以降の対応を話し合いました。
ア:三日以内に大きな余震可能性70%という予報及び劣悪な交通事情が続くことや計画停電の情報から、17日の木曜日まで休校を延長することとしました(都合4日の休校)。
イ:したがって、その間に計画されていた、大縄跳び大会や4年生の「2分の1成人式」などは中止としました。
ウ:但し、同じくその間に計画されていた「6年生を送る会」は卒業式の前日に延期としました。
エ:4日間の休校明けの学校業務再開については、17日に決定することとし、その間、情報収集をするとともに、休校措置の場合と普通登校の場合とに分けて、どういうことが起きるか想定シュミレーションを行いました。
オ:シュミレーションの前提として、考え方の基本をしっかり立てることが大事だということを確認しました。私どもが基本として立てた考え方は次の通りです。
(1)児童の安全第一を旨とする。
(2)児童の安全確保が可能と判断されれば、年間計画として残る学校業務はやりきって、児童の進級・卒業要件をしっかりと整えて新年度に臨む。
(3)児童の安全確保が不可能であれば、文部科学省が「進級・卒業要件の緩和」に従って、全休校もやむなしとする。
(4)放射線被害が生じているが、風評に惑わされず、公式情報を基に正確な判断をする。
 1.風評に惑わされることは、学校教育法一条校として公式情報に背くことになる。
 2.また風評を理由として休校したならば、学校再開の理屈が立たない。
(5)よその小学校(公立私立とも)の情報は最大限収集するが、その情報に振り回されず、都市大小学校として主体的な判断決定をする。但し、よその小学校がどのような決定をしているか、情報は包み隠さずに保護者に提供する。
(6)学校として判断・決定したことや考え方は、「保護者一斉メール」と共に、ホームページの「緊急連絡」欄と「先生ブログ」を最大限活用して、保護者に知らせる。
カ:以上を基に次のように決定を下し、実行しました。
(1)19日(土)卒業式を予定通り挙行する。但し、在校生列席は5年生のみとし、5年生登校は保護者同伴とする。希望があれば、5年生保護者の卒業式列席を認める。
(2)6年生を送る会は、前日の18日(金)とし、全校児童で行う。但し、できるだけ保護者同伴登校とし、また、事情で登校できない児童は登校免除とする(出校停止扱い)。
(3)22年度修了式を23日から26日に延期し、21日から26日まで、全校児童を登校させ、進級要件を整える。但し、できるだけ保護者同伴登校とし、また、事情で登校できない児童は登校免除とする(出校停止扱い)。
(4)その後、春休み中にさらに検討を加え、始業式、入学式、新年度業務も予定通り実施することとしました。
(5)放射線被害の問題に関しては、東京都市大学工学部原子力安全工学科に相談して、東京都が毎日一時間刻みで計測発表する放射線量をもとに毎日、年間換算値が1ミリシーベルトを上回らない限り、通常登校で問題ないことを確認しながら、学校業務を継続しております。

B
(1)ホームページの緊急連絡欄と先生ブログで、迅速に、状況および決定事項や考え方を周知したこと。
(2)学校として情報収集に努め、児童の安全と進級・卒業要件の両方を勘案して、主体的な判断を下したこと。
(3)連続4日間の臨時休校だけでも、児童たちは家庭のなかで悶々と過ごし、気持ちがふさいでいたので、学校として児童の安全を第一に考えつつ、学校登校は可能と判断して休校措置を解除し、3月26日まで登校させ、お友達といっしょに通常生活をさせてもらえたのは、震災後の児童の心のケアのためにも大変良かったと言われました。

C
(1)都市大グループ力
 ア:いざという時に、本校に隣接する大規模な都市大付属中高と連携して対応します。
 イ:都市大原子力安全工学科とも連絡をとり放射線被害に関する正確な情報を得られます。
(2)危機管理の力
 ア:登下校確認のセキュリティシステムや登下校指導、年間カリキュラムにおけるセキュリティ教室等、従来から都市大小学校として培ってきた安全教育、危機管理意識の醸成が、今般の震災対応でも力を発揮したと思っています。
(3)強力な発信力
 ア:「保護者一斉メール」「ホームページ緊急連絡欄」、「先生ブログ」を。有機的かつ縦横無尽に活用して、学校の決定事項だけでなく考え方も伝えることで保護者の安心感と学校への信頼感を強めることができたと思っています。
(4)教職員の行動力
 ア:迅速な判断で最寄り駅に飛んでいく
 イ:児童第一に考え、全員で泊まりこもうという決断力
 ウ:学校としての決定事項を全員で盛り上げようという集中力と結束力
(5)保護者のネットワーク
 ア:本校の父母の会は大変しっかりした組織で、保護者同士のネットワークが強いですから、今回の震災対応においてもお互いに情報交換しあって、教訓を得たり、児童の心のケアを図ったりしています。

※教育情報誌の「週刊教育プロ」に本校の地震対応のことが記事として掲載されました。本校の6年生の下級生への思いやりあふれるエピソードが載っています。どうぞご覧下さい。

■ トキワ松学園小学校
@
・3月11日は卒業式の前日で、1〜5年生は12時半下校、6年生のみが準備ということで残っていました。(1〜5年生は完全に帰宅していました。)
・体育館で準備していた6年生を校庭に避難させたあと点呼をし、教室に入れました。本校は耐震性の校舎ですので、揺れはありましたが、安心でした。その後「6年生は全員無事であること」の緊急メールを発報し、追って「保護者に引き取りにきてほしい」旨の緊急メールを出しました。また、合わせて、両方ともホームページにその旨のせました。

A
・3月18日まで臨時休校。全学年懇談会中止。19日(土)卒業式(6年生のみ)以上の内容を緊急メール、ホームページで知らせました。
・3月22日・23日と臨時休業。3月24日の修了式は、一堂に会しての式は行わず、10時〜13時の間に親子で登校し先生との簡単な面談、通知表渡し等を行いました。

B
・当日、保護者が引き取りに来るまで教室で待機させ、子どもには簡単な軽食と飲み物を用意して、安定した状態で保護者の迎えを待てたことに感謝されました。耐震性の校舎で学校が一番安全な所という意識をもって頂けたと思います。
・どうしても迎えに来れない二人の児童は、先生が車で送ったことも感謝されました。

C
・現在も余震が続いておりますが、東京に緊急地震速報が発令されると、一斉放送で机の下に避難し安全を確保します。当たり前のことですが、当たり前のことをきちんと対応していくことに留意しています。
・東京に震度4以上の余震があった場合は、緊急メールで児童の安否情報を流します。

■ 目黒星美学園小学校
@
(1)校庭に避難後、教室に戻り、保護者のお迎えを待つ。
一斉配信にて引渡しの連絡。(送達確認のない家庭へは児童の携帯から連絡)引渡し困難な児童は宿泊。(お迎えに来た保護者で帰宅困難な方も宿泊)不安にさせないように待機させた。
毛布350枚
カロリーメイト760箱
ミネラルウォーター760本
常備備蓄、うち在校生分使用
(2)最寄の駅まで教員が見回りをし、待避していた児童を連れ戻し学校へ避難させた。
・帰宅した児童の保護者へ連絡し、安否の確認をとった。
(午後11時30分頃終了)

A一斉配信にて、14日(月)以降の連絡を送信。
・本来の予定 3月14日(月)〜18日(金)午前日課
(変更後:中止、自宅待機)
・本来の予定 3月19日(土)卒業証書授与式
(変更後:決行 6年生のみ)
・本来の予定 3月22日(火)修了式
(変更後:中止)
新学期の予定 4月5日(火) 始業式(予定通り 安全に登校するよう配信)

B
・教職員が夜も寝ずに対応していたこと。子どもを守ってくれていた事に対する感謝の言葉があった。
・帰宅困難な保護者に宿泊をしていただいたことに感謝された。

C
・入学時にピンチクリアキット(ホイッスル・LEDライト・レスキューシート)を購入してもらい常備させている。
・備蓄品(毛布350枚、カロリーメイト760箱、ミネラルウォーター760本)
・一斉配信システム

■ 小野学園小学校
@構内にいた児童は、グラウンドに非難した後、交通機関がストップしていたため緊急一斉メールで「お子さんのお迎えをお願いします。お迎えに来られるまでお預かりいたします」と各家庭に連絡をしました。午後6時までに迎えに来られなかった児童に防災グッズを一人一人に配り、(水500ml3本・乾パン3食・防災シート・携帯トイレの入ったリュック)泊まって迎えに(次の日)来るまで学校で待っていた。

A1年生の一部の児童が下校した後だったので、西大井駅・大井町駅・下神明駅まで様子を見に行き、電車に乗っていなかった子を学校に連れて来ました。電車に乗って帰ってしまった児童については家庭連絡をとって、自宅に帰宅した事を確認するまで連絡をとり合った。

B震災の日の夜、緊急連絡メールで3月18日まで休校とし、3月19日卒業式・終業式を午前9:00〜10:30まで行い下校させ、春休みとしました。
 4月7日から平常に始業式でスタートした。
今年度に限り、林間学校・臨海学校を中止しました。また、1学期のプール授業も中止しました。

C・学校に防災グッズが人数分あったことから、学校に安心して泊まれることが出来た。
・緊急家庭連絡メールがあった事。電話が不通になったため、メールが有効であった。
・その後、イスの部分に取りつけられる防災頭巾を全児童分購入した。

*日頃から学校外で「何かあったとき」という事を家族で話し合っておく。
*ホームページに緊急連絡のページをつくり、緊急メールとホームページと並列的に家庭連絡をとるようにした。

  町田市

■ 玉川学園低学年
@震災当日は、低学年は休校だったので児童は学校にいませんでした。学内にいた中学生、高校生は、帰宅できなかったので、学校に残り、保護者の迎えが不可能な生徒は校舎に宿泊しました。

A一斉メール配信と、学校全体のホームページ、そして玉川独自のコンピューターネットワークであるCHaT Netを活用して、保護者に必要な連絡を流しました。結局震災後は3月いっぱい授業を休校としましたので、新学期の準備のことなどはCHaT Netで主に連絡をしました。日頃から頻繁に活用されているCHaT Netですので、保護者にとっても一番使いやすい連絡手段です。
玉川学園はK−12一貫教育の体制ができていますので、対応策などは、すべてK−12(幼稚園から高等学校)全体で相談し、連絡する事項なども基本的には共通のものを流しました。小学校、中学校、高等学校、それぞれ学内のディヴィジョンごとに違った対応をして保護者が混乱するようなことは一切ありませんでした。

BC玉川学園では、15棟の備蓄倉庫の中に、約6万食の食料と飲料水が用意されています。これは全児童、生徒、学生が3日間は生活できるだけの分量です。また、人数分の毛布や仮設トイレが320式備蓄されています。
 今回もそうでしたが、地震の後はすぐにキャンパスセキュリティーセンターという専門の部署が中心になり、支援部門の職員が食料や毛布の運搬などをしてくれますので、教員は児童、生徒の対応に専念することが出来ます。このような救援体制は、玉川学園ならではのものだと思います。

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